湯豆腐草堂

主に海外旅行記(ほとんど中国)をまとめていく予定です。不定期更新。

2017年華中遠征記録4日目(襄陽→当陽)

4日目は前日の積み残しからスタート。

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馬躍檀渓遺址

前日発見できなかったのはまさにこの檀渓であった。

実は近くまでは行っていたようなのだが、幹線道路から少し奥まった所に位置していたため見逃していたのだ。

檀渓とは、劉表の部下・蔡瑁らに暗殺されそうになった劉備が、拠点の新野に戻る際に愛馬(?)的驢を駆って飛び越えた地だ。

物語では激流として描かれているが、実際には下の写真のような感じだ。

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石碑の側から撮影。激流とはいったい……

その幅の狭さは噂には聞いていたが、水すら流れていないとは……

まぁ檀渓の故事自体演義の創作ですし……

 

檀渓を拝んだ後は市バスに乗り古隆中へ。

降りるバス停を間違えたため、軽い登山をする羽目になった上、入り口が分からず最終的に辿り着いた場所にいた係員の専用カーで送ってもらうなどし、何とか到達。

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立派な牌坊だがここではないし、この写真を撮っている時の筆者はかなりがっかりしている

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古隆中(=隆中)とは、諸葛亮劉備仕官するまで隠棲していた土地だ。

……どこかで見たフレーズだ。

それもそのはず、この前日に訪れた南陽武侯祠も同じ文句を謳っているからだ。

どうやら襄陽と南陽は、どちらに諸葛亮が隠棲していたのかで張り合っているようだ。

まぁ、襄陽に軍配が上がるとは思うが……

 

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諸葛亮関連の映像を流したりショーを行ったりする施設らしい。やたらと大規模。

古隆中は一大諸葛亮テーマパークと化しており、その規模は成都武侯祠に勝るとも劣らない。とにかく広く、敷地内はバスで移動する。

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古隆中の諸葛亮像の一つ。敷地内に諸葛亮像は無数にある

一応廟のような建物もいくつか配置されており、そのすべてで諸葛亮が出迎えてくれる。諸葛亮好きにはたまらないスポットだ。

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黄月英。何とも言えないクオリティ

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関連人物の塑像はちょっと雑。これはウィル・スミスっぽい向朗

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隆中対再現コーナー。張飛の目がなぜかうつろ

古隆中を後にし、襄陽駅へ移動。

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遠目に見ても巨大

襄陽から特快に揺られること2時間、次なる目的地当陽に到着した。

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当陽駅

ここはかの有名な長坂の戦いの舞台であり、三国志ファン垂涎(独自調べ)の土地である。

一方なかなかの田舎町なので、市バスを乗り回すのは難しい。そこで、徒歩を駆使して観光することにした。湯豆腐旅行ではよくある。

ということで駅を出て最初の目的地、張翼徳横矛処を目指して歩いていると、原付が寄ってきて何やら話しかけてくる。最初は無視していたが、粘り強くついてくるので、道を尋ねて適当に別れようと一旦話に応じることにした。

 

湯豆腐「張翼徳横矛処に行きたい」

運転手「ここの道をまっすぐ行けば着くぜ。乗ってくかい?」

 

どうやら後ろに乗せてくれるようだ。押しに弱い筆者は、根負けして乗ることにした。

農道を走ること数分、張翼徳横矛処に着いた。

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張飛がここで矛を横たえ、曹操軍を威圧したという。現在周囲に川はない

撮影を終えて運転手同志と別れようとすると、彼はまた何やら話しかけてきた。

 

運「お前長坂坡公園とか関陵行きたいんじゃないの?連れてってやるよ」

 

これは僥倖だ。田舎町とはいえそこそこの広さのある当陽を全て徒歩で回るのは流石にキツいなと思っていたところだ。筆者はこの運転手同志の話に乗ることにした。

 

こうして原付チャーターでの当陽観光が始まった。

まずは当陽名物・ブラック趙雲像である。

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撮影指導は例の運転手同志

めちゃくちゃかっこいい。何だこれは。合肥張遼像か当陽の趙雲像かと言ったところだろうか。

ちなみにこの像の奥に長坂坡公園があるが、この時点ではまだ入っていない。

次は太子橋に向かった。長坂の戦いの終盤、趙雲劉備に阿斗を返した場所だ。

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今ではちょっとした公園になっている

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ちょっと離れた所から撮影。右のおっちゃんが運転手同志

この後運転手同志は、「玉泉寺行くか?」と訊いてきた。玉泉寺とは、関羽の霊が神になった場所として有名だが、当陽の郊外に位置しており、そこまで行く時間の余裕はなかったので今回はパスした。

 

太子橋の次は関陵へ。関羽の胴体が埋葬されている場所だ。

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大関帝廟の一角なだけある

いくつもの殿を潜り抜けると、恵陵にも匹敵しようかというほどの大きさの墳墓が現れる。これこそが関羽の墓である。

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関陵本体

当陽に来る機会があれば是非とも訪れてほしい。三国志ファンはもちろん、そうでない方にもおすすめできるスポットだ。

 

関陵参拝中、運転手同志はずっと入り口で待っていてくれた。

 

運「これからどうすんだ」

湯「この後はバスで宜昌まで行く」

運「そうか任せとけ」

 

そう言うと運転手同志は原付をかっ飛ばし、長距離バスターミナルまで連れて行ってくれた。

しかし、ここで筆者は重大なことを思い出した。

 

まだ長坂坡公園行ってねえ!!!!!!!

 

ここからなけなしの中国語とメモ帳筆談による会話が始まった。

湯「長坂坡公園に行きたい」

運「さっき行ったじゃん」

湯「入場はしてねえ!!!!」

 

運転手同志は何とか理解してくれたようで、すぐに取って返してくれた。

というわけで長坂坡公園である。

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市民憩いの場となっている

長坂の戦いについては説明不要だろう。今はただの公園だが、それで十分だ。長坂にいるということが重要なのだ。

一応公園内には趙雲の像があったりする。

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この付近には他にも像があったらしいが今はなくなっていた。

ここを最後に、原付チャーターによる当陽観光は閉幕した。しっかりお代(30元)は徴収された。

ありがとう名も知らぬ運転手同志。