湯豆腐草堂

主に海外旅行記(ほとんど中国)をまとめていく予定です。不定期更新。

2018年長征:4日目(遵義→成都)

4日目は早々に貴陽を後にし、革命聖地・遵義へ。

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貴陽東駅。駅周辺のいたるところで工事が行われていた。今では風景も様変わりしているのだろうか

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遵義駅前のバスターミナル。ここから遵義会議会址に行ける

高校時代に世界史を選択していた人は、この地名に聞き覚えがあるかもしれない。

そう、かの有名な遵義会議の舞台となったのが、この遵義である。

 

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遵義会議会址の周辺は「それっぽく」整備されていた

1935年1月、長征(当時は西征と呼称)途上にあった紅軍は、貴州省遵義に入った。ここで開かれた共産党の政治局拡大会議で、博古(秦邦憲)らソ連留学組を中心としていた指導部は失脚、毛沢東の党内での指導力が高まっていくきっかけとなったとされる。

一方、遵義会議にはその史料的制約から謎も多く、実際に何が話し合われたのかについては明らかでない部分も多い。現在我々がアクセスできる史料としては陳雲による「遵義会議政治局拡大会議伝達提綱」があるが、これも矛盾を含んでおり、議論の余地がある。

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例によって人民しかいないようだった。南昌同様、衣装貸し出しコーナーあり

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遵義会議の舞台となった建物。2階は修復工事中で入れなかった

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建物内の一室。壁の地図がオタク心を刺激する

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彭徳懐楊尚昆の部屋。二人が実際にここで生活していた場面を想像してニヤニヤしてしまった

前述の通り、遵義会議の詳細な内容については公開されていないため、観光地としての売り出し方が難しいのではと思っていたが、「毛沢東の指導権確立」を前面に押し出すことによってカバーしているようだった。
まぁ一般人民は細かいことは気にしないのだろう。

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記念館は実際の建物を模している

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会議の一幕を描いた有名な油絵。誰が誰か当ててみよう(?)

展示内容は革命聖地によくあるもの(中国共産党の輝かしい歩み的な)で、特に見るべき者はなかった。見逃しているだけかもしれないが……

遵義は貴州省という辺境に位置する上、山がちな地形であり、退避するには絶好の土地であると実感した。紅軍が西南地域を目指したのもうなずける。

余談だが、遵義では遵義蛋糕なるカップケーキが名物なのだとか。

なかなかおいしかったので遵義に行かれる方はぜひご賞味あれ。いるんかそんなもの好き

 

遵義からは高鉄で一路成都に向かう。途中重慶を通過した。いつか行ってみたいものである。

 

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紐を引くと勝手に温まるタイプのアレを買ってみた。めちゃくちゃ湯気が出るので注意

成都を訪れるのは3年ぶりだ。初めて一人で中国に行った際に、最初に足を踏み入れた都市なだけに感慨深い。

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成都地下鉄のカードはパンダモチーフ。かわいい

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成都の日系商業施設。成都イトーヨーカドーは全店舗中一番売上が大きいらしい(真偽不明)

この日はさっさとホテルに入り、翌日に備えることにした。