四川・陝西中国史遺跡の旅3日目 ~豪雨剣門関&広元戦慄の夜編~
3日目の朝は、綿陽でのもう一つの三国志関連施設である西山公園を目指す。
綿陽の朝
バスに乗ること約20分、終点で降りて西山公園へ向かう。
本当は西山公園前のバス停まで行くつもりだったが、なぜか終点が西山公園より手前だったため、そこから徒歩で行くことに。
これはバスを降りたところの様子。
絶賛工事中で、しかも大雨のため泥にまみれていた。
また、付近のマンホールから水があふれだし、車道の端が水没していた。
爆発するマンホール
西山公園に向かう道中、子供の姿を多く見かけた。
朝の時間帯(8時ごろ)ということで、地元の子供たちの登校時間と被っていたようだ。
マンションとマンションの間の坂道を抜けると西山公園、もとい子雲亭が見えてくる。
揚雄像(裏のつくりが若干雑なのは秘密)
しかし今回の目的は子雲亭ではなくこちらの蔣琬墓である。
蔣琬墓はかなり整備されており、花も供えられていた。
なお大雨のため人はほとんどいなかった。
墓所の隣には恭公祠、すなわち蔣琬の祠がある。
これは蔣琬像。
ここには両側に回廊があり、蜀の文官と武官の絵が飾ってある。
費禕スマイル
西山公園はこれぐらいにして次の目的地に向かう。
なお西山公園を脱出するのに30分ぐらいかかった。
中国は公園のスケールも大きい上、案内図があまりないのである。
次の目的地は広元。綿陽の北に位置する町である。
広元行のバス車内の様子。
このバスは旅行中に乗った中で一番大きかったが、走行中に中国歌謡(一曲だけ少女時代)を流し続けるとかいう珍バスであった。
広元南河バスターミナルに到着後、すぐに剣門関すなわち剣閣に向かった。
山道を越え、大雨の中剣門関に到着。
剣門関は剣閣にちなんだ名前の店や通りが多かった。これは姜維街。
しかし…
どうやら連日の雨で地盤が緩み、土砂崩れの恐れがあるため南門からの入場を禁止しているとのこと(推定)。
正門に行けば開いているようだったが、正門側に行くためにはバスに乗らねばならず、しかもバスが待てど暮らせど来なかったので泣く泣く広元に帰還することに。
この後剣門関バスターミナルまで30分ほど歩いた。
剣門関バスターミナルの時刻表によると、広元行の最終バスは17:30とのこと。
バスターミナルに着いたのが16:30ぐらいだったので、すぐに来るだろうと思ったが全くバスが来ず、一緒に待ってくれたバスターミナルのおばちゃんまで焦りだす。
あわや野宿かと思ったが17時過ぎにバスが来て、何とか帰還できたのであった。
広元では、南河バスターミナルにほど近い場所に宿をとった。
この旅唯一のチェーンホテル以外のホテルである。
窓なしなので安い!
しかしここは恐るべきホテルだったのだ。
中国の地方都市では、ホテルのスタッフと地元の売春婦がグルになり、押し売りを仕掛けてくる場合があるそう。
事前にその噂は聞いていたのだが、まぁそれも昔の話だろうと高を括っていたら…
あっ
これは紛れもないゴムですねぇ…たまげたなぁ…
しかも二種類(!)
完全に押し売る気じゃないですか…
焦った私は高校時代の友人たちと連絡を取った。
彼らからは、「チェンジし続けろ!」、「ホモですって言え!」、「むしろ引き入れていけ!」などと様々なアドバイスが寄せられた。
あてになるか!!!!
というわけでドアにチェーンをかけ、早めに就寝した。
幸い部屋に上がり込んでくる輩は出ず、無事に朝を迎えられた。
夜中の3時ごろにノックの音がした気がするが気のせいだろう。
気のせい気のせい…
こうして戦慄の夜が明けたのである…