湯豆腐草堂

主に海外旅行記(ほとんど中国)をまとめていく予定です。不定期更新。

2017年華中遠征記録6日目(宜昌→武漢)

当陽を観光した後はバスで宜昌に移り、そこで一泊した。

そういうわけで、6日目は宜昌からスタートだ。

 

宜昌は三峡下りの拠点として有名だが、今回の目的は猇亭古戦場、すなわち夷陵だ。

f:id:TangDoufu:20190906225808j:plain

当日はあいにくの大雨だった。受付の服務員同志が傘を貸してくれた。

関羽を失った劉備は、自ら軍勢を率いて呉に挑む。しかしながら陸遜の計略の前に敗れ、遂には白帝城でその生涯を終える……。蜀ファンにとっては悲壮感漂う名場面だ。

そんな夷陵だが、敷地内の像はかなり気合が入っている。

f:id:TangDoufu:20190906225518j:plain

傅彤の像。超かっこいい上にデカい。全国の傅彤ファンは宜昌に急げ!!

f:id:TangDoufu:20190906230923j:plain

霧がかかっていて見晴らしはあまり良くなかったが、雰囲気は出ていた。

ただ特に資料館があるとかいうことはなく、雰囲気重視という感じだった。観光客は雨のせいもあったのだろうが筆者一名で、物寂しさを感じた。

 

宜昌をあとにして向かったのは武漢

まずは高鉄で漢口駅に入り、地下鉄で町の中心部へ。

宿に荷物を置いて、真っ先に辛亥革命博物館を訪問した。

f:id:TangDoufu:20190906225820j:plain

博物館前の像。台座には社会主義核心価値観。

f:id:TangDoufu:20190906225815j:plain

革命関連の博物館はどこも巨大。

f:id:TangDoufu:20190906225813j:plain

孫文名場面集。これは日本での中国同盟会結成時の様子を再現したもの。

両岸で尊敬されている数少ない人物であるところの孫文。人民共和国としても毛沢東並みの力を注いで展示を作っているようだ。

 

この日は雨が強く、上記以外の場所には出向かなかった。

熱干面でも食べに行こうと思ったが、結局宿から出ずに翌日を迎えることとなる。

2017年華中遠征記録4日目(襄陽→当陽)

4日目は前日の積み残しからスタート。

f:id:TangDoufu:20190213001021j:plain

f:id:TangDoufu:20190213001053j:plain

馬躍檀渓遺址

前日発見できなかったのはまさにこの檀渓であった。

実は近くまでは行っていたようなのだが、幹線道路から少し奥まった所に位置していたため見逃していたのだ。

檀渓とは、劉表の部下・蔡瑁らに暗殺されそうになった劉備が、拠点の新野に戻る際に愛馬(?)的驢を駆って飛び越えた地だ。

物語では激流として描かれているが、実際には下の写真のような感じだ。

f:id:TangDoufu:20190213001102j:plain

石碑の側から撮影。激流とはいったい……

その幅の狭さは噂には聞いていたが、水すら流れていないとは……

まぁ檀渓の故事自体演義の創作ですし……

 

檀渓を拝んだ後は市バスに乗り古隆中へ。

降りるバス停を間違えたため、軽い登山をする羽目になった上、入り口が分からず最終的に辿り着いた場所にいた係員の専用カーで送ってもらうなどし、何とか到達。

f:id:TangDoufu:20190213001150j:plain

立派な牌坊だがここではないし、この写真を撮っている時の筆者はかなりがっかりしている

f:id:TangDoufu:20190213001222j:plain

古隆中(=隆中)とは、諸葛亮劉備仕官するまで隠棲していた土地だ。

……どこかで見たフレーズだ。

それもそのはず、この前日に訪れた南陽武侯祠も同じ文句を謳っているからだ。

どうやら襄陽と南陽は、どちらに諸葛亮が隠棲していたのかで張り合っているようだ。

まぁ、襄陽に軍配が上がるとは思うが……

 

f:id:TangDoufu:20190213001206j:plain

諸葛亮関連の映像を流したりショーを行ったりする施設らしい。やたらと大規模。

古隆中は一大諸葛亮テーマパークと化しており、その規模は成都武侯祠に勝るとも劣らない。とにかく広く、敷地内はバスで移動する。

f:id:TangDoufu:20190213001240j:plain

古隆中の諸葛亮像の一つ。敷地内に諸葛亮像は無数にある

一応廟のような建物もいくつか配置されており、そのすべてで諸葛亮が出迎えてくれる。諸葛亮好きにはたまらないスポットだ。

f:id:TangDoufu:20190213002347j:plain

黄月英。何とも言えないクオリティ

f:id:TangDoufu:20190213010104j:plain

関連人物の塑像はちょっと雑。これはウィル・スミスっぽい向朗

f:id:TangDoufu:20190213002359j:plain

f:id:TangDoufu:20190213002412j:plain

隆中対再現コーナー。張飛の目がなぜかうつろ

古隆中を後にし、襄陽駅へ移動。

f:id:TangDoufu:20190213002439j:plain

遠目に見ても巨大

襄陽から特快に揺られること2時間、次なる目的地当陽に到着した。

f:id:TangDoufu:20190213002656j:plain

当陽駅

ここはかの有名な長坂の戦いの舞台であり、三国志ファン垂涎(独自調べ)の土地である。

一方なかなかの田舎町なので、市バスを乗り回すのは難しい。そこで、徒歩を駆使して観光することにした。湯豆腐旅行ではよくある。

ということで駅を出て最初の目的地、張翼徳横矛処を目指して歩いていると、原付が寄ってきて何やら話しかけてくる。最初は無視していたが、粘り強くついてくるので、道を尋ねて適当に別れようと一旦話に応じることにした。

 

湯豆腐「張翼徳横矛処に行きたい」

運転手「ここの道をまっすぐ行けば着くぜ。乗ってくかい?」

 

どうやら後ろに乗せてくれるようだ。押しに弱い筆者は、根負けして乗ることにした。

農道を走ること数分、張翼徳横矛処に着いた。

f:id:TangDoufu:20190213002706j:plain

張飛がここで矛を横たえ、曹操軍を威圧したという。現在周囲に川はない

撮影を終えて運転手同志と別れようとすると、彼はまた何やら話しかけてきた。

 

運「お前長坂坡公園とか関陵行きたいんじゃないの?連れてってやるよ」

 

これは僥倖だ。田舎町とはいえそこそこの広さのある当陽を全て徒歩で回るのは流石にキツいなと思っていたところだ。筆者はこの運転手同志の話に乗ることにした。

 

こうして原付チャーターでの当陽観光が始まった。

まずは当陽名物・ブラック趙雲像である。

f:id:TangDoufu:20190213002717j:plain

撮影指導は例の運転手同志

めちゃくちゃかっこいい。何だこれは。合肥張遼像か当陽の趙雲像かと言ったところだろうか。

ちなみにこの像の奥に長坂坡公園があるが、この時点ではまだ入っていない。

次は太子橋に向かった。長坂の戦いの終盤、趙雲劉備に阿斗を返した場所だ。

f:id:TangDoufu:20190213002730j:plain

今ではちょっとした公園になっている

f:id:TangDoufu:20190213003048j:plain

ちょっと離れた所から撮影。右のおっちゃんが運転手同志

この後運転手同志は、「玉泉寺行くか?」と訊いてきた。玉泉寺とは、関羽の霊が神になった場所として有名だが、当陽の郊外に位置しており、そこまで行く時間の余裕はなかったので今回はパスした。

 

太子橋の次は関陵へ。関羽の胴体が埋葬されている場所だ。

f:id:TangDoufu:20190213003003j:plain

大関帝廟の一角なだけある

いくつもの殿を潜り抜けると、恵陵にも匹敵しようかというほどの大きさの墳墓が現れる。これこそが関羽の墓である。

f:id:TangDoufu:20190213002944j:plain

関陵本体

当陽に来る機会があれば是非とも訪れてほしい。三国志ファンはもちろん、そうでない方にもおすすめできるスポットだ。

 

関陵参拝中、運転手同志はずっと入り口で待っていてくれた。

 

運「これからどうすんだ」

湯「この後はバスで宜昌まで行く」

運「そうか任せとけ」

 

そう言うと運転手同志は原付をかっ飛ばし、長距離バスターミナルまで連れて行ってくれた。

しかし、ここで筆者は重大なことを思い出した。

 

まだ長坂坡公園行ってねえ!!!!!!!

 

ここからなけなしの中国語とメモ帳筆談による会話が始まった。

湯「長坂坡公園に行きたい」

運「さっき行ったじゃん」

湯「入場はしてねえ!!!!」

 

運転手同志は何とか理解してくれたようで、すぐに取って返してくれた。

というわけで長坂坡公園である。

f:id:TangDoufu:20190213003014j:plain

f:id:TangDoufu:20190213003033j:plain

市民憩いの場となっている

長坂の戦いについては説明不要だろう。今はただの公園だが、それで十分だ。長坂にいるということが重要なのだ。

一応公園内には趙雲の像があったりする。

f:id:TangDoufu:20190213003023j:plain

この付近には他にも像があったらしいが今はなくなっていた。

ここを最後に、原付チャーターによる当陽観光は閉幕した。しっかりお代(30元)は徴収された。

ありがとう名も知らぬ運転手同志。

 

 

2017年華中遠征記録3日目(南陽→襄陽)

3日目の朝食は車内販売の弁当(盒饭)にした。

f:id:TangDoufu:20190202000727j:plain

饅頭がデカすぎてフタが閉まっていなかった。手前は雑穀のお粥

野菜が中心だったのだが、これがなかなか塩辛く、思った以上にお粥が進んだ。

そうこうしているうちに(遅延しつつも)南陽に到着。初の河南省である。

f:id:TangDoufu:20190202000944j:plain

駅を出てすぐにいつもの価値観

 駅から徒歩10数分、やって来たのは南陽武侯祠である。

その名の通り、ここは漢忠武侯こと諸葛亮を祀った祠だ。

何でも諸葛亮劉備に仕官するまで隠棲していた土地なのだとか(これについては襄陽編後半で詳述予定)。

f:id:TangDoufu:20190202001004j:plain

f:id:TangDoufu:20190202001013j:plain

f:id:TangDoufu:20190202001032j:plain

流石に三国志のスーパースターなだけあってどの建物もデカい

f:id:TangDoufu:20190202001213j:plain

f:id:TangDoufu:20190202001221j:plain

恐らく諸葛瞻と諸葛尚の塑像

f:id:TangDoufu:20190202002052j:plain

南陽武侯祠の諸葛亮

成都、勉県、五丈原南陽諸葛亮像を見てきたが、南陽のものは他と比べると若干小ぶりな作りだ。とはいえ、他の武侯祠同様、今に至るまで参拝者は絶えない。

敷地内には祠の他、諸葛亮が隠棲していた草廬も復元されている。

f:id:TangDoufu:20190202001229j:plain

復元された草廬

f:id:TangDoufu:20190202002503j:plain

諸葛亮が使っていた井戸……らしい

付属の展示館の塑像は力が入っており、やたらとリアルな作りであった。

f:id:TangDoufu:20190202001240j:plain

f:id:TangDoufu:20190202001259j:plain

f:id:TangDoufu:20190202001309j:plain

ビューティー孔明と三兄弟。関張は若干不満げな表情?

f:id:TangDoufu:20190202001320j:plain

別の建物内にあった模型。こちらは若干雑で、ほこりも被っていた……

また、南陽後漢の始祖光武帝の出身地でもあるため、光武帝に関する展示もわずかにあった。

f:id:TangDoufu:20190202001352j:plain

f:id:TangDoufu:20190202001401j:plain

一応順路の最初に位置していたが、照明がついておらず奥まで確認できなかった

f:id:TangDoufu:20190202001413j:plain

武侯祠近くのベンチは孔明仕様

南陽武侯祠を後にし、バスに乗って3時間半、湖北省襄陽市に入った。

到着時すでに16時半であったため、巨大諸葛亮像だけ拝んでホテル入りした。

f:id:TangDoufu:20190202001450j:plain

襄陽名物(?)巨大諸葛亮像。緊急時に起動し、羽扇からビームを放つらしい

この像があるのはその名も諸葛亮広場。長距離バスターミナルから徒歩圏内なので、襄陽に来た際には是非とも訪れてほしい。

 

実はこの日はもう一か所回る予定でいたのだが、史跡捜索に失敗したため翌朝に持ち越しとなった。史跡捜索もこういう旅の醍醐味だ。

f:id:TangDoufu:20190202001502j:plain

夕食の回鍋肉。日式とは少し毛色が違う。ご飯のおかわりを無言で入れられて死ぬかと思った

 

2017年華中遠征記録1・2日目(北京)

2017年9月15~25日、大学入学以来3度目の中国渡航を行った。

今回は北京からスタートし、南陽(河南省)、襄陽、当陽、宜昌、武漢(以上湖北省)、南昌(江西省)と移動して、最後は上海から海路で帰国する、というルートを採った。

 

1日目は夕方頃に北京に到着。

この日はさっさと宿にチェックインし、夕食を食べて寝てしまった。

f:id:TangDoufu:20190127003321j:plain

機内食ではなぜかもみじ饅頭が出た

f:id:TangDoufu:20190127003331j:plain

宿の前の通り。生活感に溢れているが、これでも王府井至近である

f:id:TangDoufu:20190127003534j:plain

夕食はこちらで四川料理をいただいた

翌日は王府井を南下し、朝一で中国人民革命軍事博物館を目指す。

f:id:TangDoufu:20190127003709j:plain

宿泊した部屋のドア。玄関が崩落している

f:id:TangDoufu:20190127003815j:plain

朝の王府井天主堂

f:id:TangDoufu:20190127003851j:plain

朝の天安門。この日の朝はかなり霧が濃かった

軍事博物館はこの年人民解放軍建軍90周年を記念してリニューアルオープンしたばかり。それゆえか、開館前から多くの人が列を作っていた。

f:id:TangDoufu:20190127003859j:plain

1年ぶりの軍事博物館。やはりスターリン建築は良い

f:id:TangDoufu:20190127003907j:plain

黒山の人だかり

f:id:TangDoufu:20190127003915j:plain

建軍90周年ということでパンフレットにも気合が入っている

新装開館記念だろうか、人民解放軍の戦闘車両や戦闘機、ヘリコプターなどが前庭に並べられていた。が、筆者は兵器にあまり明るくないので「かっけぇ…」で終わってしまった。

f:id:TangDoufu:20190127003923j:plain

日本ではなかなか見ることが難しい風景

内装も90周年仕様になっており、如何に力を入れているのかが窺い知れる。

f:id:TangDoufu:20190127003943j:plain

気合の入った展示室入口

もとは日本軍のもので、終戦後紅軍が鹵獲・運用した「功臣号」こと九七式中戦車も展示されている。

f:id:TangDoufu:20190127003954j:plain

臨場感がある

展示室を抜けると、航空機などが所狭しとと並べられているホールに行き着く。

f:id:TangDoufu:20190127004023j:plain

f:id:TangDoufu:20190127004011j:plain

f:id:TangDoufu:20190127004032j:plain

航空機をはじめ、ミサイルや錨(写真は清の戦艦のもの)も展示されている

今のところ公開されているのは1階のみで、今後は上の階も公開されるとか。期待は膨らむばかりである。

 

軍事博物館を後にし、次は地下鉄と徒歩を併用して盧溝橋に向かう。

f:id:TangDoufu:20190127004053j:plain

宛平城。今も日本軍による弾痕が残る

f:id:TangDoufu:20190127004121j:plain

f:id:TangDoufu:20190127004106j:plain

盧溝橋は抗日戦後もしばらく通常の橋として使われていたが、今では観光用の橋となっている

言わずと知れた、日中戦争の発端となった橋である。今ではのどかな風景が広がる。付近には抗日戦争記念館もあり、こちらは無料で入館できる(要身分証)。中には日本軍が大陸に残していった武器や飯盒などがガラスを隔てて床下に展示してある部屋もあり、敗戦国を感じた工夫されているなと感じた。

盧溝橋から市内中心部に戻ると、既に日没間近だった。

次なる目的地南陽へは、夜行列車を利用する。

f:id:TangDoufu:20190127004147j:plain

相変わらず駅がデカい

実はこれが筆者の初中国夜行列車である。死ぬほどテンションが上がっていたことを今でも覚えている。

f:id:TangDoufu:20190127004205j:plain

寝台列車は本邦のトワイライトエクスプレス以来

f:id:TangDoufu:20190127004219j:plain

発車後、切符とこの券を引き換える。この列車は西安局所属のため、絵柄が兵馬俑

この日の夕食は、長年の夢だった食堂車で。

味は可もなく不可もなくという感じだったが、列車で食べる食事はどんなものでも格別だ。

f:id:TangDoufu:20190127004231j:plain

なおスープはめちゃくちゃ味が薄かった

こうして2日目が終わり、列車は河南省へ入っていく。

2016年南巡+北京の旅10日目

最終日は午後の飛行機で帰国予定だったので、観光は控えめ。

雨の中まずは田子坊へ。

f:id:TangDoufu:20190125022230j:plain

雨の田子坊

ここはオシャレ雑貨やファッションの店が林立しており、行くたびに店が入れ替わっていることで有名だ。

……が、オタクの私に刺さるものは少なく、それほど長くは滞在しなかった。

次に向かったのは上海博物館だ。

f:id:TangDoufu:20190125022239j:plain

上海博物館

家族旅行で来て以来の上海博物館。当時は最上階の展示を見られなかったので、今回はじっくり見学。貨幣コレクションは一見の価値ありだ。

 

この後同行者同志と合流し、そのまま空港へ向かい、帰国した。

こうして2016年の中国遠征は幕を閉じた。

 

この年の遠征は、今思えば色々ともったいない点が多い。

中でも、北京から合肥への移動は夜行列車が使えたのではないか、というのが未だに後悔している点だ。

これに関しては翌年の遠征で達成されることとなる。

2016年南巡+北京の旅9日目

9日目の朝は徐光啓墓へ。

f:id:TangDoufu:20181218003504j:plain

徐光啓墓。公園となっており、地元の人民と思しき人々の憩いの場となっている

徐光啓は明代の官僚で上海出身。『幾何原本』や『崇禎暦書』で有名だ。ここには記念館も併設されており、彼の事績について詳しく知ることができる。

f:id:TangDoufu:20181218003514j:plain

徐光啓

お次は上海宣伝画芸術中心。中国共産党プロパガンダポスターや絵画が多数展示されている。

この博物館は普通のマンションの地下にあるため、少し見つけにくい。

マンションの守衛さんに訊くと行き方を教えてくれる。

f:id:TangDoufu:20181218003839j:plain

外観はこんな感じ。普通のマンションである

f:id:TangDoufu:20181218004056j:plain

ポストカードがお土産として買える

昼食を新天地の鼎泰豊にしようと考えていた我々は、新天地に向かうついでに中国共産党一大会址記念館にも足を延ばした。ここは中国共産党の第1回党大会が行われた場所である。

f:id:TangDoufu:20181218004354j:plain

一大会址。この時はあまり写真を撮らなかった

この2年後、再びここを訪れるのだが、それに関してはまた別の記事で触れたいと思う。

さて、昼食を終えた我々は豫園経由で外灘に向かった。

f:id:TangDoufu:20181218004458j:plain

豫園商城。いつ訪れても観光客でごった返している

f:id:TangDoufu:20181218004727j:plain

外灘。ここには3年連続で来ることとなった

東方紅の鐘の音や陳毅の銅像に興奮しつつ、一旦宿に戻った我々は、小休止の後夕食を食べに出た。

今回は上海姥姥を利用した。

f:id:TangDoufu:20181218005102j:plain

上海姥姥外観。外灘至近なのも嬉しい

ここは文字通り「おばあちゃんの味」を再現している店で、地元民人気も高いそうだ。我々も上海料理を一通り堪能した。

f:id:TangDoufu:20181218005335j:plain

ここも例にもれず量の割に値段が良心的

こうして中国滞在最後の夜が終わった。

2016年南巡+北京の旅8日目 顧雍墓捜索編

8日目は朝からバスに乗り込み蘇州市郊外へ向かう。

f:id:TangDoufu:20181216011535j:plain

蘇州駅前にある范仲淹像

顧雍墓へは、まず蘇州駅前から64路のバスに乗り、蔵書で下車する。

f:id:TangDoufu:20181216011601j:plain

蔵書バス停

ここから朱買臣路に入りひたすら南下する。この日は雲一つない晴天で非常に暑かったため、体感で60分ぐらい歩いている気がした。

f:id:TangDoufu:20181216012224j:plain

ここを右に曲がる。藪の中にある「金鶏山墓区」の石柱が目印だ

バス停から歩くこと数十分。目の前に雑木林が見えてきた。ここに三国呉の宰相・顧雍の墓がある。

f:id:TangDoufu:20181216012434j:plain

墓への入り口。ただの雑木林である

ここは人民の墓地も兼ねているようで、多くの墓標が建っていた。

……が、どうも手入れはされていないらしく、そして夏場ということもあって草木が伸び放題になっており、捜索はかなり骨が折れた。捜索途中、蓮の花を模したスピーカーから読経の自動音声が流れてきた時は心底ビビった。

10分ほどだっただろうか、捜索を続けていると開けた場所に辿り着いた。そここそが顧雍墓のある場所だったのである。

f:id:TangDoufu:20181216012849j:plain

顧雍墓全景。数年前と場所が変わっていた模様

顧雍墓がこの墓地にあることは事前に調べていたが、詳しい位置までは分かっておらず、手探りの状態だったので、発見した時の達成感はひとしおであった。

 

顧雍墓を後にし、蘇州市街地まで戻って次に訪ねたのは、世界遺産にも登録されている蘇州古典園林の一つである芸圃だ。

f:id:TangDoufu:20181216013320j:plain

芸圃。他の庭園に比べるとこぢんまりしている

芸圃は小規模な庭園で、場所も住宅地のど真ん中と、他の世界遺産登録庭園と比べると地味な印象を受けるが、観光客が比較的少ないのでゆっくりと観賞できる。個人的おすすめ庭園である。

f:id:TangDoufu:20181216013709j:plain

蘇州駅内部。やはり例にもれずデカい

芸圃観光の後、蘇州駅に移動し上海へ向かう。今回の旅は上海が最終目的地であり、同行者同志との合流地でもある。

高鉄に揺られて上海入りし、ホテルの前で無事同行者同志と合流。

この日は上海小南国で晩飯をとることに。

f:id:TangDoufu:20181216014137j:plain

ドリンクメニューが竹簡風

ここで上海料理を初めて食べたが、思っていた以上に食べやすい味だった。一人だとこういう店には入りにくいので、複数人で旅するメリットといえるのかもしれない。