湯豆腐草堂

主に海外旅行記(ほとんど中国)をまとめていく予定です。不定期更新。

2018年長征:3日目(長沙・韶山→貴陽)

3日目は、朝から高鉄に飛び乗って韶山へ。

そう、毛沢東生誕の地である。

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韶山南駅からバスに乗るとこのビジターセンター(?)に運ばれ、ここから各観光スポットへ移動する。

1893年12月26日、毛沢東はこの韶山で生まれた。

彼の生家は保存され、今では博物館になっている。

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このトンネルを抜けると毛沢東の生家がある。

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毛沢東故居前の農地

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毛沢東故居。内部は撮影禁止なので外観のみ

毛沢東故居の一帯は毛沢東関連観光スポットとして整備されており、多くの人民が訪れていた。

今まで行った革命史跡の中でも随一の人の多さだ。

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若き日の毛沢東

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銅像の周りには献花が絶えない

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人民たちはもれなく一礼していた

以前留学生が、「毛沢東は(若い世代にとっては)歴史上、教科書の中の人物なのであまり親近感はない」と語っていたが、上の世代には単なる歴史上の偉人以上に崇敬されているように感じた。レッドツーリズムの一環なのかもしれないが。

 

筆者も色々と見て回ったが、毛沢東の生誕地というだけあってかなりきっちりと整備されているようだった。

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記念館ロビーの毛沢東

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内部では毛沢東の一生を精巧な人形やジオラマで追っている。これは遵義会議の会場(翌日訪問した)

帰路の切符を買おうとしたところ、一等座しか売れ残っていなかったため、これを買うことにした。まさかの一等座初乗車である。

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そして復興号初乗車でもあった

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一等座ではお菓子がもらえるようだ

長沙市内に戻り、小休止した後にまた高鉄に飛び乗って貴陽を目指す。

初めての貴州省である。

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開通したての地下鉄で宿へ向かう

貴州省については、高校時代に使っていた地図帳の図表で、中国で最も貧しい省の一つとして紹介されていたため、あまり良いイメージはなかったが、実際は想像以上に発展しており、自らの無知を恥じた。

また、高地に位置するため、湖南よりも涼しいのが印象的であった。

2018年長征:2日目(香港→広州→長沙)

空港泊を経た筆者は、早朝に香港国際空港を脱出し、広州に向かった。

MTRで紅磡駅に移動し、そこから国際列車に乗り込んで広州を目指す。

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直達列車で広州へ

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紅磡駅。一応免税店もあるが、雰囲気は寂しい

広州東駅に到着した後は、すぐに銀行へ向かった。この時点で筆者は日本円と香港ドル、それになけなしの人民元しか所持しておらず、どこかで両替を行う必要があった。そこで、レートの最も良い現地の銀行へ向かったのだ。

銀行に着いた筆者は、両替がしたい旨を伝えて待っていた。待つこと数十分、銀行員同志がやって来て、筆者を銀行の待合室へ案内した(この時点で筆者は待合室の外で待っていた)。そこでも随分待ったのだが、この時若い銀行員の兄貴がやって来て、通訳兼話し相手になってくれた。彼は英語を解したので、雑談に花が咲いた。

兄貴「これからどこへ行くんだ?」

筆者「長沙に行って、その後は貴州→四川→延安→天津→北京→上海と回って、最後には香港から帰国するつもりだ」

兄貴「そんな北の方なんか行ったことないわ」

確かこんな感じだったように思う。

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銀行にも中国特色社会主義

そうこうしているうちに順番が回ってきた。

が、結局両替はできなかった。詳しい理由は不明だが、広州市内での住所(≒ホテルの場所)がなかったことが災いしたようだ。

兄貴は非常に申し訳なさそうな顔をしながら、近くのホテルで両替ができる旨を伝えてくれた。帰り際には「中国の大銀行は(処理が)遅いんだ」と言っていた。

兄貴に紹介されたホテルではATMのような機械を使って両替が可能だった。

ものの1分ぐらいで終わった。

 

この一連の行動で、広州観光の時間は潰れてしまった。

泣く泣く駅に向かい、長沙行きの高鉄に乗り込む。

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広州南駅。外は絶賛工事中

長沙に着いた頃にはすっかり日没を迎えていた。

夕食は火宮殿にて。毛沢東も愛したと言われる名店だ。

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火宮殿は好きなものをお盆に載せ、最後に会計をするスタイル。中国語ができない人にもおすすめだ

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リーズナブルな上、どれもうまい

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店頭の毛沢東

この日は両替と移動で終わってしまった。本格的な観光は翌日からとなった。

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宿へ向かう途中、花火が見えた。何かの催しだったのだろうか

 

2018年長征:1日目(関空→香港)

1934年、江西省瑞金に拠点を置いていた中国工農紅軍は、国民革命軍による度重なる包囲戦に耐え切れず、遂に根拠地を放棄して移動を始めた。これは、1万km以上を徒歩で行軍する過酷な移動となり、1936年に陝西省延安に到達した時点で、瑞金出発当初総兵力8万を有していた紅軍は、8000程度にまで減少していた。この一連の大移動を「長征」と称する……

 

かねてから中国共産党史に興味を持っていた筆者は、2018年、延安や遵義といった長征の舞台となった都市を巡る旅を計画した。同時に毛沢東生誕の地である湘潭や、諸葛亮の墓がある勉県、天津租界、マカオなどにもこの際に行ってしまうことにした。

そうなると、中国のどこに入国するかが問題になる。色々と考えていたのだが、折しも激安航空券を投げ売りしていた香港エクスプレス航空にまんまと釣られ、出入国地は香港に決まった。

だが、この時点で筆者は、旅程が始まる前から崩壊してしまうことを知る由もなかった……

 

9月4日、大型の台風21号が関西に上陸、各地に甚大な被害をもたらした。この台風により、関西国際空港では滑走路が水没、暴風に煽られたタンカーの衝突により連絡橋が大破するなど、特に大きな損害を被った。

9月18日の便を予約していた筆者は肝を冷やした。航空会社に連絡してみたが電話もメールも全く繋がらなかった。幸い復旧が予想以上に早く進んだこと、ギリギリになって電話が通じたことで何とか渡航は可能となったが、本来搭乗する便が欠航となり、より時間の遅い便に振り替えとなった。

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出発の日の関空。一部区域はまだ再開していなかった。

しかしながら、ここで一つ問題が浮上する。本来の旅程では、18日の夕方に香港に到着し、その日のうちに広州まで移動して、そこで一泊する予定だったのだ。一方、振り替え便が香港に到着するのは0時前。広州への移動は不可能だ。

空港近くのホテルに宿泊するのが定石だろう。が、貧乏学生にそこまでの金の余裕はない。よって、空港で一夜を明かすことにした。人生初の空港泊である。

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到着直後の晩飯。

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1日目の宿。よさげなベンチはどこも先客がいた。やむなし。

何とか4時間は眠ることができたが、背中と首はバキバキになった。一応人通りの多そうな場所を選んだので、トラブルには巻き込まれずに済んだが……。周囲には空港泊の旅行者も散見され、少し安心(?)。

こうして4度目の中国単独旅行が幕を開けた。

 

 

2017年華中遠征10~12日目(上海→日本)

朝9時半頃に上海南駅に到着した。

この日は船に乗らねばならなかったので、観光は簡単に済ませてフェリーターミナルへ向かった。

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朝の上海南駅

 

本旅程最後に立ち寄ったのは龍華寺。

創建は三国呉の時代に遡る。孫権の母によって創建されたのだという。

今残っている建物は光緒年間のものだそうだ。

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龍華寺。境内には関帝廟もある

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付近には塔もあった。傾いている……

龍華寺を後にして、地下鉄で国際客運中心站に向かう。

その名の通りフェリー乗り場の最寄り駅だ。

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入り口が派手。商業施設と一体化していた

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チェックインカウンターと待ち合い。早く着きすぎたこともあって閑散としていた

大事をとって早めに行ったのだが、待ち合いにもチェックインカウンターにも誰もおらず、大変焦った。

しばらく待っていると乗客と思しき人民がチラホラ現れ始め、そのうちチェックインカウンターが開いたので乗船手続きを済ませた。

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チケットがデカい

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乗船開始直後の写真。乗客はここに写っている人々だけだった

今回利用したのは新鑑真号。日本に就航している数少ない国際フェリーで、20年以上前から日中間を結んでいる。

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貨物も一緒に輸送している。貨物積み込みが遅れたようで、出航も遅延となった

LCCの隆盛する昨今、わざわざ船で海外旅行をする人は相当減っているようで、旅客定員345名のこの船に乗っていた客は、わずか30名程度だった。

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乗客が少ないこともあり、より広々としていた

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食堂も席が余りまくっていた

正午出航の予定だったが、数時間遅延して出航することとなった。

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1日目の昼食はカレー。レトルト全開だったが久々の味でどこか懐かしかった

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黄浦江は多くの船(含軍艦)が行き交っていた

出航後しばらくは河口を航行するため電波は拾えるが、外洋に出てからは当然拾えなくなった。

夕食を済ませた後は読書などをして過ごし、20時就寝を達成した。

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1日目の夕食。太刀魚の何かだったと思う(うろ覚え)

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朝食は無料。コーヒーが激薄な以外は満足

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2日目の昼食は親子丼にした。メニューは日本語のものもある

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部屋は二等洋室を取った。8人部屋だが自分を含め3人しかいなかった

……ほとんど飯の写真になってしまった。

外洋ではほとんど景色が変わらないので、必然こういう写真だけになってしまう。

ご勘弁願いたい。

そうこうしているうちに五島列島が見えてきた。

電波も戻ってきたようだ。

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五島列島を望む

船旅は2泊3日に及んだが、あれよあれよと時は過ぎ、大阪港が見えてきた。

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明石海峡大橋。これが見えると旅の終わりを感じる

国際航路を利用したのは初めてだったが、こういうスローな旅も悪くない。

また乗りたいし、蘇州号にも乗ってみたいものだ。

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大阪港で隣に停泊していたのはパンスターフェリーだった

こうして飛行機、高速鉄道、在来線、地下鉄、長距離バス、路線バス、バイクタクシー、船と、様々な交通手段を利用した華中遠征は幕を閉じた。

 

[付記]

この記事を書くために新鑑真のHPを見直したところ、昨年にサイトをリニューアルしていたようだ。とても見やすくなっているのでご参考あれ。

www.shinganjin.com

2017年華中遠征記録9日目(南昌→上海)

9日目は朝一で南昌起義紀念館へ。

何でも一回の入場人数に制限があるらしく、入れませんでしたとなるのも残念なので、開館凸を狙った。

行列はできていたものの、幸いそこまで長くなく、難なく入場できた。

なおこの待機列で大学院入試の合格を確認した。

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建軍90周年ではあったが、特に何らかのイベントをやっている気配はなかった

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入って正面には起義を指導した人物(周恩来ら)の像が立つ

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簡単なコスプレコーナーもあった。イメージ写真の二人がやたらと毛沢東周恩来に似ていた

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入り口から博物館までの道の両脇には起義関連人物の胸像が並ぶ。これは李立三。「極左の誤り」として有名な李立三路線の指導者だが、ここではそこまで悪い扱いではないのだろうか

博物館内はいたって普通の革命博物館という趣で、特に目新しいものはなかったが、相変わらずジオラマや展示の配置方法が凝っていて感心した。党史に関わるので当然といえば当然だが。

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演出も相まってかなり凝ったつくりになっている

博物館の隣には、南昌蜂起の際に紅軍が指揮所を置いていた建物が残っており、一般開放されている。

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起義軍の総指揮所。もとは江西旅社というホテルだった

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揮毫は江沢民

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内装はなかなかおしゃれだ

紀念館を後にし、滕王閣に向かった。

実は南昌に来た目的の8割ぐらいは紀念館だったので、これ以降は行き当たりばったりで動いている。

滕王閣の存在を知ったのもこの前日なのだ。

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滕王閣。江南三大名楼の一つで、唐代の創建。現在見られるのは30年ほど前に再建されたもの

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楼閣からの景色

中には南昌の歴史に関する展示があったが、かなり簡潔だった。

江西出身で科挙に受かった者の名簿もあり、相当な名誉だったのだなと感じた。

とはいえ数百年に渡って自分の名前を晒され続けるのか……

 

滕王閣は江西省博物館にもほど近い。

というわけで実際に行ってみた。

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江西省博物館外観

自然科学館と歴史館に分かれており、そこそこの広さがあったが、全体的に閑散としていた。一応省レベルの博物館なんだからもっとがんばってくれ。というかもっと行ったれ。

 

この後は完全にノープランだったので、南昌市街地を徘徊。

ウォルマートで買い物したり、八一広場でダラダラしたりしていた。

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このド派手な建物はその名も「毛沢東思想勝利万歳館」。今は江西省展覧中心という名前になっている

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某所にあった、り○ろーおじさんの店「風」の店舗

この日は夜行で上海に向かった。

南昌から上海までは夜行で行くほどでもないのだが、夜行列車に乗りたい気持ちを抑えられず、ついつい切符を取ってしまった。

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相変わらず駅がデカすぎる

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さすが南昌。紅軍感あふれるお土産も多数販売していた

 

2017年華中遠征記録8日目(武漢→南昌)

8日目は朝から湖北省博物館を見学した。

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省の博物館なだけあって巨大だ

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越王勾践の剣

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編鐘は想像以上に大きかった

広いだけあって見どころも多く、博物館を回るだけで午前中が終わってしまった。

列車の時間の関係上、武漢観光は午前中で切り上げて駅へ向かう。

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武昌駅。中国近代史好きとしては盛り上がる地名だ

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功夫で昼食。ご飯がみっちり詰まっており、満足度が高い

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利用したK1275次列車(2017年当時)は遠く包頭から来ていたようだ

硬座に乗ること3時間半で江西省省都・南昌に到着した。

江西省に来たのはこれが初めてだ。

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想像していたよりも都会だった印象。当時はまだ地下鉄が南昌駅まで開通していなかった

この日はここまでの疲れが出たのか、宿に着いた後は特に動かずに一日を終えた。

2017年華中遠征記録7日目(赤壁)

華中遠征7日目は、三国志を知らない人でも一度は耳にしたことがあるだろう(要出典)赤壁を訪問した。

 

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朝の武漢駅。高鉄の時間にギリギリでダッシュしていたため、写真がぶれまくっている

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赤壁北駅の目の前にあるマンション群。駅周辺は再開発されたのだろうかこぎれいな街並みだったがちょっと歩くとよくある中国の田舎町だった

武漢駅から高鉄で40分ほどで赤壁北駅に到着。

ここから徒歩で城西バスターミナルを目指す。

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城西バスターミナル。かなり地味なので見落としてしまいそうだ

駅から路線バスでもアクセスできるようだが、本数も少なそうだったので今回は徒歩で向かった。所要時間は1時間かからないぐらいだったか。

 

ここからバス(という名のミニバン)で1時間程度走り、赤壁へ向かう。

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降車地点から撮影。いきなり鼎がお出迎えしてくれ、テンション上がりまくりだ

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赤壁古戦場入口。雨だったためか閑散としていた。

バスを降りてから徒歩10分ほどで赤壁古戦場の入り口に到着。長江沿岸一帯がテーマパークになっており、順路を進むことで赤壁の戦いやその他の有名シーンを追体験できる仕様になっている。

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入ってすぐのところにあったトランスフォーム関羽

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龐統の庵を模した鳳雛庵。小指を立てた龐統像を拝むことができる

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拝風台。諸葛亮が東南の風を呼んだとされる

しばらく進むと有名な周瑜像が現れる。

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周瑜像。かなりイケメンだが背面は垂直だ

そして周瑜像の脇にある階段を下りて行くと……

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例のアレ。この時の筆者は興奮で気絶しそうになっている

うおおおおおおおおおおおお!!!!!!

と思わず声が出てしまうほど感動した。

近くにいた人民に写真を撮ってもらったほどには興奮していた。

ちなみにその人民にどこから来たのか訊かれたので日本からだと答えると、えらく感心された。

まぁ三国志ファンぐらいしか来ないだろうし、アクセスがいいとは言えないので珍しかったんだろう。

 

赤壁古戦場にはこの他にも色々と見どころが満載だ。

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赤壁大戦陳列館内にある周瑜の像。唐三彩風か?なお、さくら剛『三国志男』内で触れられている頭部のずれた大喬はいなかった。改装されたのかもしれない

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楼船を模した施設。一部塗装が剥がれているが、放置されている様子

午後には赤壁から武漢に戻り、市内観光に繰り出した。

向かったのは亀山公園。魯粛の墓がある公園で、三国志武将の像もある、一種の聖地だ。

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曹操像。曹操のかっこいい像は珍しいかもしれない

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魯粛墓。中国には魯粛の墓が散在しているらしい

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赤壁大戦全景画館……だった建物。改装中というよりは解体中に見えたが果たして……

夜は武漢で有名な夜市が立つ戸部巷で熱干面をいただいた

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熱干面。言葉が分からず全部のせにしたら激辛麺になり、舌が破壊された

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戸部巷。様々な屋台が立っており、見て歩くだけでも楽しい

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夜の黄鶴楼