湯豆腐草堂

主に海外旅行記(ほとんど中国)をまとめていく予定です。不定期更新。

2017年華中遠征記録3日目(南陽→襄陽)

3日目の朝食は車内販売の弁当(盒饭)にした。

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饅頭がデカすぎてフタが閉まっていなかった。手前は雑穀のお粥

野菜が中心だったのだが、これがなかなか塩辛く、思った以上にお粥が進んだ。

そうこうしているうちに(遅延しつつも)南陽に到着。初の河南省である。

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駅を出てすぐにいつもの価値観

 駅から徒歩10数分、やって来たのは南陽武侯祠である。

その名の通り、ここは漢忠武侯こと諸葛亮を祀った祠だ。

何でも諸葛亮劉備に仕官するまで隠棲していた土地なのだとか(これについては襄陽編後半で詳述予定)。

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流石に三国志のスーパースターなだけあってどの建物もデカい

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恐らく諸葛瞻と諸葛尚の塑像

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南陽武侯祠の諸葛亮

成都、勉県、五丈原南陽諸葛亮像を見てきたが、南陽のものは他と比べると若干小ぶりな作りだ。とはいえ、他の武侯祠同様、今に至るまで参拝者は絶えない。

敷地内には祠の他、諸葛亮が隠棲していた草廬も復元されている。

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復元された草廬

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諸葛亮が使っていた井戸……らしい

付属の展示館の塑像は力が入っており、やたらとリアルな作りであった。

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ビューティー孔明と三兄弟。関張は若干不満げな表情?

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別の建物内にあった模型。こちらは若干雑で、ほこりも被っていた……

また、南陽後漢の始祖光武帝の出身地でもあるため、光武帝に関する展示もわずかにあった。

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一応順路の最初に位置していたが、照明がついておらず奥まで確認できなかった

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武侯祠近くのベンチは孔明仕様

南陽武侯祠を後にし、バスに乗って3時間半、湖北省襄陽市に入った。

到着時すでに16時半であったため、巨大諸葛亮像だけ拝んでホテル入りした。

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襄陽名物(?)巨大諸葛亮像。緊急時に起動し、羽扇からビームを放つらしい

この像があるのはその名も諸葛亮広場。長距離バスターミナルから徒歩圏内なので、襄陽に来た際には是非とも訪れてほしい。

 

実はこの日はもう一か所回る予定でいたのだが、史跡捜索に失敗したため翌朝に持ち越しとなった。史跡捜索もこういう旅の醍醐味だ。

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夕食の回鍋肉。日式とは少し毛色が違う。ご飯のおかわりを無言で入れられて死ぬかと思った

 

2017年華中遠征記録1・2日目(北京)

2017年9月15~25日、大学入学以来3度目の中国渡航を行った。

今回は北京からスタートし、南陽(河南省)、襄陽、当陽、宜昌、武漢(以上湖北省)、南昌(江西省)と移動して、最後は上海から海路で帰国する、というルートを採った。

 

1日目は夕方頃に北京に到着。

この日はさっさと宿にチェックインし、夕食を食べて寝てしまった。

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機内食ではなぜかもみじ饅頭が出た

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宿の前の通り。生活感に溢れているが、これでも王府井至近である

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夕食はこちらで四川料理をいただいた

翌日は王府井を南下し、朝一で中国人民革命軍事博物館を目指す。

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宿泊した部屋のドア。玄関が崩落している

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朝の王府井天主堂

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朝の天安門。この日の朝はかなり霧が濃かった

軍事博物館はこの年人民解放軍建軍90周年を記念してリニューアルオープンしたばかり。それゆえか、開館前から多くの人が列を作っていた。

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1年ぶりの軍事博物館。やはりスターリン建築は良い

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黒山の人だかり

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建軍90周年ということでパンフレットにも気合が入っている

新装開館記念だろうか、人民解放軍の戦闘車両や戦闘機、ヘリコプターなどが前庭に並べられていた。が、筆者は兵器にあまり明るくないので「かっけぇ…」で終わってしまった。

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日本ではなかなか見ることが難しい風景

内装も90周年仕様になっており、如何に力を入れているのかが窺い知れる。

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気合の入った展示室入口

もとは日本軍のもので、終戦後紅軍が鹵獲・運用した「功臣号」こと九七式中戦車も展示されている。

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臨場感がある

展示室を抜けると、航空機などが所狭しとと並べられているホールに行き着く。

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航空機をはじめ、ミサイルや錨(写真は清の戦艦のもの)も展示されている

今のところ公開されているのは1階のみで、今後は上の階も公開されるとか。期待は膨らむばかりである。

 

軍事博物館を後にし、次は地下鉄と徒歩を併用して盧溝橋に向かう。

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宛平城。今も日本軍による弾痕が残る

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盧溝橋は抗日戦後もしばらく通常の橋として使われていたが、今では観光用の橋となっている

言わずと知れた、日中戦争の発端となった橋である。今ではのどかな風景が広がる。付近には抗日戦争記念館もあり、こちらは無料で入館できる(要身分証)。中には日本軍が大陸に残していった武器や飯盒などがガラスを隔てて床下に展示してある部屋もあり、敗戦国を感じた工夫されているなと感じた。

盧溝橋から市内中心部に戻ると、既に日没間近だった。

次なる目的地南陽へは、夜行列車を利用する。

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相変わらず駅がデカい

実はこれが筆者の初中国夜行列車である。死ぬほどテンションが上がっていたことを今でも覚えている。

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寝台列車は本邦のトワイライトエクスプレス以来

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発車後、切符とこの券を引き換える。この列車は西安局所属のため、絵柄が兵馬俑

この日の夕食は、長年の夢だった食堂車で。

味は可もなく不可もなくという感じだったが、列車で食べる食事はどんなものでも格別だ。

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なおスープはめちゃくちゃ味が薄かった

こうして2日目が終わり、列車は河南省へ入っていく。

2016年南巡+北京の旅10日目

最終日は午後の飛行機で帰国予定だったので、観光は控えめ。

雨の中まずは田子坊へ。

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雨の田子坊

ここはオシャレ雑貨やファッションの店が林立しており、行くたびに店が入れ替わっていることで有名だ。

……が、オタクの私に刺さるものは少なく、それほど長くは滞在しなかった。

次に向かったのは上海博物館だ。

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上海博物館

家族旅行で来て以来の上海博物館。当時は最上階の展示を見られなかったので、今回はじっくり見学。貨幣コレクションは一見の価値ありだ。

 

この後同行者同志と合流し、そのまま空港へ向かい、帰国した。

こうして2016年の中国遠征は幕を閉じた。

 

この年の遠征は、今思えば色々ともったいない点が多い。

中でも、北京から合肥への移動は夜行列車が使えたのではないか、というのが未だに後悔している点だ。

これに関しては翌年の遠征で達成されることとなる。

2016年南巡+北京の旅9日目

9日目の朝は徐光啓墓へ。

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徐光啓墓。公園となっており、地元の人民と思しき人々の憩いの場となっている

徐光啓は明代の官僚で上海出身。『幾何原本』や『崇禎暦書』で有名だ。ここには記念館も併設されており、彼の事績について詳しく知ることができる。

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徐光啓

お次は上海宣伝画芸術中心。中国共産党プロパガンダポスターや絵画が多数展示されている。

この博物館は普通のマンションの地下にあるため、少し見つけにくい。

マンションの守衛さんに訊くと行き方を教えてくれる。

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外観はこんな感じ。普通のマンションである

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ポストカードがお土産として買える

昼食を新天地の鼎泰豊にしようと考えていた我々は、新天地に向かうついでに中国共産党一大会址記念館にも足を延ばした。ここは中国共産党の第1回党大会が行われた場所である。

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一大会址。この時はあまり写真を撮らなかった

この2年後、再びここを訪れるのだが、それに関してはまた別の記事で触れたいと思う。

さて、昼食を終えた我々は豫園経由で外灘に向かった。

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豫園商城。いつ訪れても観光客でごった返している

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外灘。ここには3年連続で来ることとなった

東方紅の鐘の音や陳毅の銅像に興奮しつつ、一旦宿に戻った我々は、小休止の後夕食を食べに出た。

今回は上海姥姥を利用した。

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上海姥姥外観。外灘至近なのも嬉しい

ここは文字通り「おばあちゃんの味」を再現している店で、地元民人気も高いそうだ。我々も上海料理を一通り堪能した。

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ここも例にもれず量の割に値段が良心的

こうして中国滞在最後の夜が終わった。

2016年南巡+北京の旅8日目 顧雍墓捜索編

8日目は朝からバスに乗り込み蘇州市郊外へ向かう。

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蘇州駅前にある范仲淹像

顧雍墓へは、まず蘇州駅前から64路のバスに乗り、蔵書で下車する。

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蔵書バス停

ここから朱買臣路に入りひたすら南下する。この日は雲一つない晴天で非常に暑かったため、体感で60分ぐらい歩いている気がした。

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ここを右に曲がる。藪の中にある「金鶏山墓区」の石柱が目印だ

バス停から歩くこと数十分。目の前に雑木林が見えてきた。ここに三国呉の宰相・顧雍の墓がある。

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墓への入り口。ただの雑木林である

ここは人民の墓地も兼ねているようで、多くの墓標が建っていた。

……が、どうも手入れはされていないらしく、そして夏場ということもあって草木が伸び放題になっており、捜索はかなり骨が折れた。捜索途中、蓮の花を模したスピーカーから読経の自動音声が流れてきた時は心底ビビった。

10分ほどだっただろうか、捜索を続けていると開けた場所に辿り着いた。そここそが顧雍墓のある場所だったのである。

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顧雍墓全景。数年前と場所が変わっていた模様

顧雍墓がこの墓地にあることは事前に調べていたが、詳しい位置までは分かっておらず、手探りの状態だったので、発見した時の達成感はひとしおであった。

 

顧雍墓を後にし、蘇州市街地まで戻って次に訪ねたのは、世界遺産にも登録されている蘇州古典園林の一つである芸圃だ。

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芸圃。他の庭園に比べるとこぢんまりしている

芸圃は小規模な庭園で、場所も住宅地のど真ん中と、他の世界遺産登録庭園と比べると地味な印象を受けるが、観光客が比較的少ないのでゆっくりと観賞できる。個人的おすすめ庭園である。

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蘇州駅内部。やはり例にもれずデカい

芸圃観光の後、蘇州駅に移動し上海へ向かう。今回の旅は上海が最終目的地であり、同行者同志との合流地でもある。

高鉄に揺られて上海入りし、ホテルの前で無事同行者同志と合流。

この日は上海小南国で晩飯をとることに。

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ドリンクメニューが竹簡風

ここで上海料理を初めて食べたが、思っていた以上に食べやすい味だった。一人だとこういう店には入りにくいので、複数人で旅するメリットといえるのかもしれない。

 

2016年南巡+北京の旅7日目 無錫三国城・水滸城編

7日目は朝からバスに乗り込んで無錫郊外の三国城・水滸城へ。

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この辺りからバスに乗り込む。無錫はなかなかの都会でサイゼリヤもあった。

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三国城・水滸城とはいわば映画村で、映画やドラマの撮影に使われる場所をテーマパークとして開放している。

もちろん撮影現場としても現役だ。

両城にはセット入場券が存在し、これがあれば内部で行き来ができる。

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今回は水滸城から入城した。入口には百八星の像が並ぶ。これは林冲

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水滸城では宋代の街並みや水滸伝ゆかりの建物などが再現されている。映画撮影にも使われるだけあって雰囲気がある。

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山を登ると山塞がある。

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前述の通り、水滸城と三国城は内部で行き来ができる。

水滸城から三国城に向かうと左手に呉の本営が見えてくる。

この本営の目の前は太湖であり、赤壁の戦い直前の模様を表しているのだろう。

三国城に入ってからしばらくの後、「三英戦呂布」の時間になったので馬場に移動する。

三国城では騎馬戦のショーもやっているのだ。

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待機中の武将のみなさん。

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呂布と戦う三兄弟。

馬に乗った武者が戦う様子はなかなかの迫力で、人民と共に見入ってしまった。

武将たちは馬の上で海老反りになるなどしていた。

次はこちら。

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これは赤壁の戦いジオラマで再現したショーだ。

時間になると中国語のナレーションと共に船団から煙が上がり…

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えぇ…(困惑)

ミサイルの如き火矢が敵船団めがけて飛んでいき、赤壁の火計のシーンを再現する。

三国城に足を運ばれた際は是非ともご覧いただきたいイベントだ。

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他にも楼船があったり…

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孔明の庵とリアル孔明像があったりと三国志ファンにはたまらない施設だ。

家族連れもかなり来ていたので、ご家族でもどうぞ(?)

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さて、無錫を後にして次に向かうは蘇州。

長距離バスに揺られて1時間程度だ。

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雨とはいえ期待を裏切らぬ景色。

やはり運河はいい。

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この日は運河沿いの松鶴楼にて蘇州名物・松鼠桂魚をいただいた。

一人では流石に少し多かったが、美味であった。

こうして7日目が終了し、遂に運命の8日目を迎える…

2016年南巡+北京の旅6日目 丹陽陵墓捜索編

6日目は南京を離れ、長距離バスと路線バスを乗り継ぐこと計4時間で丹陽へ。

バスターミナル隣の南京駅とバスターミナル内部待合室で人民たちが賭けトランプやってた

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丹陽は眼鏡の町

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丹陽バスターミナルから市バス18路に乗り譚巷村で下車。

クソ暑い中、写真手前の路地をひたすら北上する。

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すると…

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農地のど真ん中に突然山が現れる。これこそが武烈皇帝孫堅の陵墓・高陵である。

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少し近づいて撮影。高陵は大豆畑の真ん中に位置しており、更なる接近を試みたが作物を踏み荒らしてしまってはよくないので撤退。石碑の他に謎の祠(黄色い建物)もあり、非常に気になる…

これだけのために丹陽まで来たわけであるが、やはり来てよかった。並み居る三国志武将の中でもトップクラスの巨大陵墓である。

この後来た道を戻って丹陽駅へ。

高鉄に乗って無錫を目指す。

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無錫は地下鉄が走っており、全家(ファミリーマート)をはじめとする日帝日系チェーンも多数展開している大都会である。

この日は無錫排骨を堪能すべく、三鳳橋肉荘へ。

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これが無錫排骨。タレが非常に旨く、次の揚州炒飯が来るまで永遠に舐め続けていた。

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こちらは揚州炒飯。日本人好みの味。

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この日はほとんど移動に費やしたが、大満足の一日であった。